子供を産めば救われるという勘違い。

自己開示

ネガティヴな感情や出来事も含めて、自己開示していこうと思って、ここに記事を残します。
今回は子供を産めていない事と不妊治療の事。

多嚢胞卵巣

今年で結婚6年目になるが、うちには子供がいない。
結婚当初、子供なんて簡単にできるだろうとたかを括っていたが、一向にできる気配もなく、念のため、と思い不妊治療を受けられる婦人科で検診を受けた。

どうやら自分は《多嚢胞卵巣》というやつらしい。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは、卵巣で男性ホルモンがたくさん作られてしまうせいで、排卵しにくくなる疾患で、女性の20〜30人に1人の割合でみられます。排卵されない卵胞は卵巣にとどまるため、超音波検査でみると、たくさんの卵胞(嚢胞)を認めることから多嚢胞性卵巣と呼ばれます。

http://www.shimane-u-obgyn.jp/patient/patient-other/133/141/149

…卵子が正常に育たず排卵されないのか。
割合としては多くの人がかかりやすい症状のようではある。
とりあえず、卵子が育って排卵できれば問題なく妊娠できそう。
不妊治療の始まりである。

不妊治療

試した不妊治療はタイミング法と体内受精。
何度かトライするも妊娠せず。
不妊治療さえすれば子供は簡単に出来るだろうと思っていたけど、半年やそこらじゃ成果は出ない現実を知った。

そもそもなぜ不妊治療を受けたのか

明確に「子供が欲しい」と思ったのではなく、将来後悔しないように不妊治療を受けた。
子供を産むにはタイムリミットがあり、歳をとればとるほど妊娠へのリスクが高まる。子供1人産むのも命がけだから、体力面でも早く産んでおくのが良いだろう。

子供を本当に欲しているか

答えはNOだ。
子供を産むというのは心からの望みではない。少なくとも今は。
結婚当初も欲しているというより産むのが当たり前で普通だと思っていた。
人間に限らず全ての生物は自分の遺伝子を残すことが生まれてきた意味のひとつだと考えていて、だから子供を産むのが当たり前だし、産めないなんて欠陥品だと思っていた。
あと、子供産みたくないとか言っちゃいけないと思っていた。
「子供を産みたい」は偽物の感情で、世間体を気にしての発言でしかなかった。

今、思う事

不妊治療をやめてから3年くらい経った今、なぜこの話を蒸し返そうと思ったか。
それは、子供を産めないという事にいろんなものが引っ張られていると気づいたから。
一番の苦しみであり悲しみであり、それでいてみんなに気を使わせないように「いつかできると思うから」って笑って話して、【希望は捨てません!】みたいなポジティブキャラを貫いて…そういうのに疲れちゃった。
本音は子供とか産みたくないし、産むとき痛いのとかやだし育てられないし、自分の時間減っちゃうの耐えられないし、裁縫道具とか出しっぱなしにできないのしんどいし、そもそも子供好きとかいうわけでもないし(見てて可愛いとは思うけど、たまに会うから良いのであって)、って色々思うとね、なんで「子供を産めない=欠陥品・ダメなやつ」って思考にずっと捕らえられていたのか不思議で仕方ない。
みんなが当たり前のようにできてる事が出来ないっていうのが悔しかっただけなんだよな。

当たり前とか普通とか、その考え方自体が間違っていたのだ。
そういう思考でい続ける限り、たとえ子供を産めたとしても自分の感情が救われる事は無い

おわりに

私が子供を産むというのは、実父の願いでもある。
姉が子供を産んではいるものの、私の子供を見たいらしい。
結局私自身、自分の意思100%で不妊治療したわけではなく、90%以上が世間体や親の目を気にして決めた行動だったと言える。
この事に限らず、自分がいかに周りを気にしながら生きてきたか、見直す時期がきている。

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