実体験から。
自問自答しつつ書いていきます。
ネガティブ*振り返り
いつから自分に対してネガティブになったんだろうってふと思った。
自分が世界の中心で、なんでもできると思っていた時期も確実にあって、
ポジティブってわけでもないけど楽観的?
間違っても自分が悪いわけじゃないしって思ってたところがあって、
ある意味人のせいにしてた部分もあるんだけど、
自分が正しいと思ってた時期があったんだよね。
まぁ、人生いろいろ経験すると自分が間違ってることもあるって思うようになるんだけど。
誰かが間違っててもあんまり指摘してこないこともあって、
それは私自身間違いを指摘されたくないっていう思いもあったんだとは思うけど、
そうゆうのが積み重なって身動き取れなくなっちゃったのかなー?
それでも自信はあったなぁ。
「自分は縫うのが得意で、大学ではもっと専門的な勉強するんだ!」
とか思って大学入って、自分が作る洋服も好きだったりして、
周りに才能溢れる子がいっぱいいてもわりと楽しく行けてたんだけど…
そうだ!
教育実習に行かなきゃ行けないって意識し始めた時からネガティブになったんだ!
大学入る時に、両親に「短大でもいいじゃん」って言われたけどなぜか四年制の大学にこだわって
「教職とるから大学行かせてくれ」って頼んだんだよね。
今思うと教師になるつもりなかったのに。
その時すでに人間関係に不安があって、ついでに『間違いたくない』『ちゃんとやらなきゃ』っていう性格だったから教育実習を思うと苦痛でしかなかった。
結果、教育課程は途中で辞めるんだけど、そのことが《最初に決めたことをやりきれない私》っていうレッテルを自分に貼ることになる。
ネガティブルーーープ!
そこからどんどんと自己嫌悪に陥って
ネガティブループの出来上がり!
自分には才能がない。
どうせ私なんて。
っていうところから始まり、
そんな思考だったから誰にでも挑戦する権利のあった卒業制作ファッションショーモデルのオーディションにも応募できず、私と同じくら背の低い子も受けてたのをみてチャレンジ精神のない自分に嫌気がさし、想像力も好きなことをとことん調べる気概もない自分に嫌気がさし、有り余る才能の上に努力を重ねる友人と自分を比べて凹み、なんでも簡単にできると勘違いしてた自分を呪い、挙げ句の果てに登校拒否。
自分自身を過信するくせに恥をかきたくなくて一歩踏み出せない。
でもって、ちゃんとした人と思われたい。
でもできないから自己嫌悪。
ついでに過去のやらかしとか思い出して
自分は最低な人間だから幸せになっちゃダメだって制限かけて
嫌なことからは逃げればいいと思ってすぐ諦めて。
でもこれ全部、自分の中でぐるぐるしてただけなんだよなー。
全然外に気持ちを出してない。
だから、周りから見たら突然引きこもりになったように見えるし、突然逃げ出したように見える。
自分の本音を隠すのが上手だったというか、周りの人はどうでも良かったというか。
辛い時に本音を話せる相手がいなかった感じ。
ちょっと待てよ?
あれ?でも今思うと、ネガティブな感情に正直に生きてたから、
ネガティブなりにうまくいく人生だったわ。
登校拒否でも研修旅行のフランスには行けたし、
卒業が一年のびたから春休みが一回増えてスペイン旅行に行けたし、
とりあえず就活しとこうと思ったら難なく受かったし、
卒業旅行に親友と沖縄に行けたし、
就職した先も「もうやだー」ってすぐ逃げ出したけど再就職もすんなりできた。
…最初に書こうと思ってたところからズレてきたぞ。
でもなんだかすごい気づきになってる。
周りの人に恵まれて支えられて生きてきたっていうのはもちろんあるけど、
そこの根底に本音で生きるっていうのがちゃんとある!
行きたくないから行かない。
楽しそうなのには行く。
リスクは背負わない。
怒られるまでやらない←仕事やめてダラダラしてたら流石に怒られた。笑
ネガティブな感情が渦巻いてた時期だと思っていたけど、わがまま放題うまくやってるじゃないか。
ちょっとびっくりだわ。
自分のために生きてるわぁ。
ネガティブはダメだー、ちゃんとしなきゃーって思いながら過ごしてるのは結婚あたりからか?
一緒に生きて行くんだから相手のためにできることしなきゃ、みたいな。
これも完全に独りよがりだったわけですが。
まぁそれでも思い通りに進んでることは多いのだけど…
なーんか今、うまく行ってない感じがするのよね。
でもこれもある意味《思い通り》になってる感じもしていて、
うまく行かないということをどこかで望んでいた結果だということを分かってる感じ………
うひゃー!
結局のところ…
結局これ書いてて分かったことは、
ネガティブだろうとなんだろうと、心のままに動けば良い
ってことなのか。
タイトルとズレちゃったー。
でも、この感じ大事な気がするからこのまま残しとこー。
おわりに
《本音で生きる》って自分の中のワクワクした気持ちやポジティブなやりたい事をやっていく事だと思っていたけど、ネガティブも全部ひっくるめての《本音》って事。
なんか、よく分からんけど、ここ数年、遠回りした感じがする!ウケる。笑
でも多分、自然にできてたことをあえて出来なくする・やらなくなる事で、
人に伝えられるようになるから、この一見無駄に思える事も
私にとって重要な出来事だったのだろう。